約20年、気丈に一人暮らしをしていた母も卒寿を過ぎ、ここ数年私は毎週末に母の住む実家との往来を繰り返している。私は写真が趣味といっても、撮るのは何時も日々のスナップショット。いきおい、母を連れ出した際の写真も少なからず堆積してゆく。と、同時に車内に流れるなじみの風景に触発されてか、語り出す母の記憶の断片の話は聞き流され、もう一度反芻しようとした時、留まらなかったことへの哀惜。かろうじて過去を思い起こすことのできる今の風景と、母の言葉を記録しなくては。母と共有できる私の思い出の風景も、母にとっては既に変化した後の風景だ。時の地層に挟み込まれた母の思い出話を掬い取り、留めることの奇跡を大切にしたいと思い、今日も撮り、記録する。
作者の母の語る思い出話の断片を、現在の風景写真とともに編集した、大人のための写真絵本。作者の母は、ここでは村の小さなお店の娘として、作者は娘の娘となっています。小さな物語です。最後までお付き合いください。
ある村のお宮の前の小さなお店に生まれた娘は、イイモンショ(旧家)のお嬢様がお使いのお手間に下さる生姜糖が大好き。けれどもたいがいはお嬢様以外の人が出てきて思惑が外れます。甘いものといえば、お店にには樽に入った赤飴と、赤飴より少しだけ高価な白飴がありありました。白飴はあまり売れませんでしたが、夏になると融けて赤飴に戻るため、売り物にはなりません。ところで、毎年お雛様と一緒に飾る人形の中に、娘の娘の大好きな人形2体がありますが、それはキャラメルのおまけだったとか。なので、娘の娘はキャラメルに一目置いていました。
小学校の時の遠足は、遠くの町まで歩いて、1泊か2泊の海水浴でした。当時は旅館の前に砂浜が広がっていたそうです。娘は父の酒のアテを盛った後のテッシュ(小皿)を、そっと裏の川に流していたと言います。娘は母の代わりに家事一切をになっていた頃のこと。娘の娘はそんな娘の行動を訝しく思いました。
娘の母は、娘が18の時に、娘とその姉達、弟妹を残して亡くなりました。その日の朝、娘は茄子を獲りに家を飛び出しました。茄子といえば、毎年お盆の墓参りには賽の目に切った茄子を水で満たした瓶を持参し、それを墓に注いでいたものです。この寺の方丈は、不思議なことに、そのような習わしは知らないとのこと。姉たちは師範学校や看護学校へ行くなか、結局娘は幼い弟妹を育て、田畑を守るため、勉学を諦めました。守ってきた田畑は、今では場所が曖昧になりました。ただ古くからここにある千手観音像には、今日も新しい花が供えられています。
女学校のマラソン大会は、娘の姉と娘とが一緒に参加した年に、それぞれ一等と三等を獲りました。二等は同じ村の人で、若くして亡くなったそうです。学校帰りにサンゴの川に来る頃には、壊れた草履を橋から川に投げて、裸足で帰るのが常でした。日満博覧会(1936)にて姉様人形を娘に与えられたのが嬉しく、アマ(天井裏の物置)に大切にしまっていたのを、人に見せる際に誤って落とし、首がとれてしまいました。娘の娘はお雛様と一緒にその人形を飾ってあげました。
娘の母が亡くなった年、10歳の弟が畔で寂しげに佇んでいるのをよく目にしました。頃は秋の夕暮れ時。周りにはサクラタデが揺れていました。 今、娘は散歩道でサクラタデを目にすることができます。そこには電気工事のため、娘の父がしばらく通っていた塩工場の跡があり、今でも湧水が出ています。バイカモも繁茂しています。
娘の娘は、サクラタデを探しに海岸へ向かいました。なのに夕焼けを撮るのに夢中になり、日も暮れる始末、娘が探しに出て、家に戻った娘の娘がまた娘を夕闇の中、探しに出かけました。
夕暮れて母娘の間桜蓼 娘の娘
ところで娘は、自分の娘と妹と、時々間違うことがあります。都会の叔母さんは、東京のクッキーをお土産に下さったヘプバーン似の人。叔母さんは娘の娘を妹のように思っていると話したことがありましたっけ。
この間、長姉の葬式で、娘は姉達のようには上級学校へ行かせてもらえなかったことをつぶやいていました。いつの頃からか、海岸で拾ってきた陶片が手元にあります。陶片を弄んでいるうち、娘の娘は唐突に気が付きました。娘の不可解な行いの理由を。そうです。あの時、娘は持って生きようのない姉達や父に対する、ひょっとしたら村に対する感情を、テッシュに載せて流していたのだと!
皿鉢もほのかに闇の宵涼み はせを
娘の娘も還暦を過ぎ、成人した娘たちがいます。そして長女の杏奈はそのまま名古屋の人になりました。一方、娘の娘の息子は、学生時代を過ごした東京から、杏奈さんという妻を携えて地元へ戻ってきました。さて、娘の物語は一巡したようです。娘の娘の娘たちが、娘の娘である私の「何か」を回収する日はやってくるのでしょうか。「何か」はあるのかですって? いいんです。それで。。。
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